明治37年(1904年)の日露戦争開戦時に伊藤博文が金子堅太郎に対して当時中立国だったアメリカに和平斡旋をさせるように工作したり、アメリカの世論を親日的なものに変化させていく役割を渡米して果たすよう涙ながらに説得するシーンがあります。
金子堅太郎はこう言いました。
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「成功する見込みが半分ぐらいあるのならば行くんですが、成功の可能性がまったくありません」
それに対し伊藤博文はこう語りかけました。
「ロシアとの開戦を決意したが、勝つ見込みはない。だが、私は一身を投げ打ってロシア軍と戦う。もし、九州にロシア軍が上陸してきたら、兵に混じって銃を手に取り命つづく限り戦うつもりだ。今回の戦争は、勝利を期待することは無理だが、国家のため、全員が命を賭して最後まで戦う決意があれば、国家を救う道が開けるかもしれない。金子君は成功する見込みがないと言って辞退しているが、成功しようなどとは思わないで身命を賭すという決意があれば充分なんだ。ぜひ、アメリカに渡ってほしい。私と一緒に国家に生命を捧げてもらいたい。」
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