【隼】🇯🇵JAPAN🇯🇵 hatenablog

誰かの為に何かを残せればと思います。

英霊の言乃葉

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「母さんの子ですもの」

海軍中尉 富田 修 命
昭和十九年九月三日台湾高尾にて殉職

海軍第十三期飛行科予備学生

日本大学卒長野県出身 二十三歳

九月二十五日

一時半、我一生ここに定まる。

お父さんへ、いふことなし。

お母さんへ、御教訓身にしみます。

お母さん、ご安心下さい。
決して僕は卑怯な死に方をしないです。
お母さんの子ですもの。
。。。それだけで僕は幸福なのです。

日本万歳万歳、かう叫びつつ死んでいつた幾多の先輩達のことを考へます。

お母さん、お母さん、お母さん、お母さん!

かう叫びたい気持で一杯です。
何か言つてください!
一言で充分です。
いかに冷静になつて考えても、いつもいつも浮んでくるのは御両親様の顔です。

父ちゃん! 母ちゃん!

僕はかう何度もよびます。

僕と同じ気持、同じ境遇の戦友も相当にゐることでせう。
現に僕の机の左に一心にペンを動かしてゐる栗山君も同じであります。
一人息子であります。
北海道の人です。
飛行機乗りは必ず死するものであります。

この道を選んできた僕を、一度は反対した父も、二度目は許してくれました。
その時の気持と今の決定を見た時の気持は全く同じであります。
万感胸に迫つて泣いてゐた友もおります。

「お母さん、決して泣かないでください」

修が日本の飛行軍人であつたことについて大きな誇りをもつてください。

勇ましい爆音をたてて先輩が飛んで行きます。
ではまた。

 

【平成八年年九月靖國神社社頭掲示

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「自分の家の上空を飛びます」

海軍少尉 茂木三郎 命


神風特別攻撃隊第五神剣隊
昭和二十年五月四日 沖縄周辺にて特攻戦死
海軍第十八期乙種飛行予科練習生
福島県出身十九歳

 
遺言(昭和二十年三月 母への手紙)

僕はもう、お母さんの顔を見られなくなるかも知れない。

お母さん、良く顔を見せて下さい。

しかし、僕は何んにもカタミを残したくないんです。

十年も二十年も過ぎてからカタミを見てお母さんを泣かせるからです。

お母さん、僕が郡山を去る日、自分の家の上空を飛びます。

それが僕の別れの挨拶です。

 

【昭和六十三年九月靖國神社社頭掲示