酒井 隆 中将(さかい たかし)
酒井隆中将は対米戦勃発時に第23軍司令官として香港攻略を指揮しました。酒井中将は駐中華民国公使館の副武官参謀本部作戦部中国課課長、香港軍政庁長官、北京の特務機関長などを歴任しており、帝国陸軍きっての中国通でした。
大東亜戦争終戦後の1945年12月、中国国民党政府に戦犯容疑で逮捕されました。
1946年8月27日、南京軍事法廷で死刑判決を受け、1946年9月30日に南京雨花台で銃殺刑に処されました。
その酒井中将が奥さまに宛てた手紙があります。
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「大好きな日本、私は空とぶ姿でかへる」
ラジヲでおききでしょうが戦犯として、今日決定します。 これによつて中日がまことの道を歩くこととなり、日本を侵略と言われないですむ道に出れば私の本願です。
好きな中国で死んで私はよろこんで逝きます。
死ねば心はすぐ 日本へかえる。
いつでも刑にかけてといのる。
いつ迄も牢屋に生きるよりか放たれ日本の空に、我は祖国の礎となる。
大好きな日本、私は空とぶ姿でかへる。
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辞世の和歌
子の孫のその孫よ千代にかけて祖國をまもれ心つくして