✴️「尖閣諸島は日本の固有の領土です」✴️
日本は、尖閣諸島が無人島であるのみならず、他国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重に確認した上で、1895(明治28)年1月に閣議決定を行って沖縄県に編入しました。これは、国際法上、正当に領有権を取得するためのやり方に合致しています。
その後、日本の民間人が日本政府の許可の下、尖閣諸島に移住し、鰹節工場や羽毛の採集などの事業を展開しました。
なお、福建省の漁民が尖閣諸島の魚釣島近海で遭難した際には、日本人が救助を行い、1920年5月に当時の中華民国駐長崎領事から「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」と記載された感謝状が発出されました。
第二次世界大戦の前は、最盛期には200人以上の住人が尖閣諸島で暮らし、税徴収も行われていました。また、現在においても、警備・取締りや国有地としての管理等が適切に行われています。
【かつての居住者】
(写真提供:那覇市歴史博物館)
【中華民国駐長崎領事の感謝状】
✴️「竹島は日本の固有の領土です」✴️
各種の地図や文献から、日本では、竹島について古くからその存在を認識していたことがわかります。17世紀初めには、日本の町人は幕府の許可を得て、鬱陵島(うつりょうとう)に渡る際、竹島を航路の目印として、またアシカなどの漁獲地として利用していました。遅くとも17世紀半ばには、竹島の領有権を確立していたと考えられます。
さらに、1900年代初期、島根県の島民から、アシカ猟事業の安定を図る声が高まり、政府は、1905(明治38)年1月、閣議決定で竹島を島根県に編入し、同年2月22日、島根県知事は、この旨を告示しました。
【1905(明治38)年閣議決定】
(写真提供:アジア歴史資料センター
【竹島におけるアシカ猟の様子】
(写真提供:島根県竹島資料室)
✴️「北方領土は日本固有の領土です」✴️
羅臼町から北方領土の一つである国後島までは約25kmしか離れておらず、天気の良い日は眼下に国後島を望むことができますが、今もなおロシアに不法占領されています。
日本の領土であるのも関わらず、自由に行くこともできない、北方領土は本当に「近くにあって遠い島」です。
北方領土は、日本国民が父祖伝来の地として受け継がれてきたもので、いまだかつて一度も外国の領土となったことがない日本の固有の領土です。
1855年の日魯通行条約により、当時、択捉島とウルップ島の間に自然に形成されていた国境線が法的に画定され、北方四島は日本の領土として平和裏に確定しました。
しかし、第二次世界大戦末期の1945年8月9日、ソ連邦は、当時まだ有効であった日ソ中立条約を無視して対日参戦し、8月14日に我が国がポツダム宣言を受諾し降伏の意図を明確に表明した後、8月28日から9月5日までの間に四島のすべてを不法に占領してしまいました。
当時、これらの島々には約1万7千人余りの日本人が暮らしていましたが、1949年までに日本人島民全員がソ連により強制的に退去させられました。それ以降北方領土には日本人は住んでいません。
※昭和22年当時の強制送還されたときの様子(写真:千島連盟提供)