大東亜戦争の意義は、昭和天皇が「開戦の大詔」に明確にお示しになっている。
「東亜の安定」と「自存自衛」の為に蹶然起って一切の障礙を破砕するための戦いであったのである。
決してアジア諸国を侵略しようという戦いではなかった。東亜諸地域を侵略し支配していた米英との戦いであった。それはインド植民地化・阿片戦争など数百年にわたる欧米列強による東亜侵略への正義の抵抗でもあった。
これを否定する勢力は、まさにわが国の光輝ある歴史を冒瀆し日本人の誇りを喪失せしめる元凶である。
詩人・高村光太郎は大東亜戦争開始時に以下の詩を書いている。当時の大多数の日本人の感激を吐露した詩であると思う。
記憶せよ、十二月八日
この日世界の歴史あらたまる。
アングロ サクソンの主権、
この日東亜の陸と海とに否定さる。
否定するものは我等ジヤパン、
眇たる東海の国にして、
また神の国たる日本なり。
そを治しろしめたまふ明津御神なり
世界の富を壟断するもの、
強豪米英一族の力、
われらの国において否定さる。
われらの否定は義による。
東亜を東亜にかへせといふのみ。
彼等の搾取に隣邦ことごとく痩せたり。
われらまさに其の爪牙を摧かんとす。
われら自ら力を養いてひとたび起つ。
老若男女みな兵なり。
大敵非をさとるに至るまでわれらは戦ふ。
世界の歴史を両断する。
十二月八日を記憶せよ。
(昭和16年12月10日執筆、初出「婦人朝日」昭和17年1月号、詩集『大いなる日に』収録)」
アメリカによる経済的な抑圧政策(いわゆる米・英・中・蘭のA・B・C・D包囲網)は、戦後の東京裁判でパール判事が指摘したようにすでに日本に対する“先制攻撃”であり、日本人はそのことを日々の生活のうちにすでに痛覚していた。したがって開戦時に際しての高村光太郎の言葉は、当時の国民の声を代弁したものであったろう。