【隼】🇯🇵JAPAN🇯🇵 hatenablog

誰かの為に何かを残せればと思います。

2020-09-01から1ヶ月間の記事一覧

我は海の子

われは海の子 白浪の…。 「われは海の子」は、明治43(1910)年の尋常小学読本唱歌に掲載されて世に出ました。 作者不詳とされてきた名曲の作詞者が明らかになったのは、約80年後の平成元年です。 決め手となったのは、北欧文学者、宮原晃一郎の一人…

昭和天皇、最後の「終戦記念日」

昭和63年8月15日。昭和天皇が最後にお迎えになった終戦記念日。当時、昭和天皇のお身体は深く癌に侵されていた。(但しご本人に告知はしていなかった)。この年の8月は那須の御用邸で静養をされていた。しかし、ご無理をされてヘリコプターで8月13日にご帰京…

元侍医が語る「昭和天皇 最期の日々」

1987(昭和62)年4月29日。誕生日の昼餐会中に嘔吐した昭和天皇。満86歳を迎えた天皇の体で起こっている異変に気付いていたのが、侍医の伊東貞三さん(87)だった。徳川家定の御典医を務めた伊東玄朴、明治天皇の侍医を務めた伊東方成を祖先にもち、昨年『昭…

『伊勢神宮』新国家の為の神道利用

一生に一度はお伊勢参り、江戸時代の庶民最大の楽しみが、伊勢神宮の参拝だった。天皇家の祖先とされる天照大御神と、豊穣(ほうじょう)をつかさどる豊受(とようけ)大御神を祭り、民の暮らしと縁が深い。 もちろん信心だけではなく、御師(おんし)と呼ば…

『昭和天皇』A級戦犯メモ 富田メモの危うい『政治利用』

『週刊新潮』 '06年8月3日号 「A級が合祀されその上松岡、白取までもが、」「だから私あれ以来参拝していない。それが私の心だ」。元宮内庁長官の富田朝彦氏が、昭和天皇のお言葉として書きつけたメモが波紋を広げている。 スクープを物にした「日経」は7月2…