【隼】🇯🇵JAPAN🇯🇵 hatenablog

誰かの為に何かを残せればと思います。

2017-11-01から1ヶ月間の記事一覧

三島由紀夫が涙した遺書

古谷眞二少佐写真(飛行服姿、鈴鹿航空隊にて) 靖國神社の遊就館や知覧特攻平和会館など、各地にある戦争関連資料館で先人たちの遺書を目にする事が出来ますが、ここでは1通の遺書を紹介します。昭和20年5月11日、第八神風桜花特別攻撃隊「神雷部隊攻撃隊」…

軍神「西住 小次郎」大尉

九州山脈、西の裾野に甲佐町というところがある。 現在でも熊本市街地へ出るには不便なところだ。 寒暖の差が激しいその地で西住小次郎(にしずみ こじろう)は育った。 父も祖父も西南戦争に参加した元来からの武家で小次郎は育った。 特別な手解きなど受け…

英霊の言乃葉 (我が子へ)

愛児への便り 海軍大尉 植村 真久 命 神風特別攻撃隊大和隊 東京都出身立教大学 昭和十九年十月二十六日 比島海域にて戦死、二十五歳 素子、素子は私の顔をよく見て笑ひましたよ。私の腕の中で眠りもしたし、またお風呂に入つたこともありました。素子が大き…

三島由紀夫が泣いた先人の遺書

三島由紀夫は自決に先立つ、一か月前の昭和45年10月広島県江田島にある海上自衛隊第一術科学校の教育参考館を訪れています。 全国から寄せられた戦没者の遺書の中から手に取った一通の遺書を読み終えた三島は声を出して泣いたそうです。 それは昭和20…

英霊の言乃葉

「母さんの子ですもの」 海軍中尉 富田 修 命昭和十九年九月三日台湾高尾にて殉職 海軍第十三期飛行科予備学生 日本大学卒長野県出身 二十三歳 九月二十五日 一時半、我一生ここに定まる。 お父さんへ、いふことなし。 お母さんへ、御教訓身にしみます。 お…

日本行進曲の父「瀬戸口藤吉」

瀬戸口藤吉(せとぐちとうきち)は日本の音楽家の一人で海軍軍楽師。 「生没」1868年6月29日(慶応4年5月10日)~ 1941年(昭和16年11月8日) 出生地は鹿児島県鹿児島郡小川町(現・鹿児島市)と肝属郡垂水村(現・垂水市)の二説がある。 軍艦行進曲などの作…

江戸時代の伊勢参り

江戸時代の中期以降の庶民の楽しみの一つに、旅行がありました。しかし、当時はただの観光目的の旅には許可が下りなかったために、あくまでも表向きは寺社への参拝ということになっていました。 その中でも特に人気だったのが、伊勢参りです。火付け役となっ…

英霊の言乃葉

ニイサンガ カタキヲ ウツテヤルカラ 海軍少尉 宮崎 勝 命神風特別攻撃隊第五神剣隊昭和二十年五月四日沖縄にて戦死三重県松坂市日野町出身 十九歳 イモウト ヤスコチヤン ヤスコチヤン トツコウタイノニイサンハ シラナイダラウ。 ニイサンモ ヤスコチヤン…

英霊の言乃葉

出発の朝「入隊に際して」 海軍少佐 古川正崇命神風特別攻撃隊振天隊 昭和20年5月29日沖縄近海にて戦死海軍第13期飛行予備学生大阪外国語大学 奈良県出身 ――― 二十二年の生全て個人の力にあらず母の恩偉大なりしかもその母の恩の中にまた亡き父の魂魄(こん…

英霊の言乃葉

短い爪と髪を送ります 陸軍伍長 上田 穂積 命昭和二十年一月十五日ルソン島にて戦死熊本県天草町出身 二十二歳 自分達の船は十一月十五日五島沖で敵潜水艦の魚雷攻撃を受け沈没。私は二十四時間漂流していたところ夏 初義さん小崎英雄さんに助けられてフィリ…

英霊の言乃葉

靖國神社の社頭前掲示板で英霊の遺書や書簡が毎月一通ずつ掲示され靖國神社冊子『英霊の言 乃葉』に纏めて刊行、頒布されています。 その一部を下記に紹介します。 ⚪⚪⚪⚪⚪ ⚪⚪⚪⚪⚪ 「一億の号泣 」 高村 光太郎 綸言一たび出でて一億号泣す。 昭和二十年八月十…

三島由紀夫と熊本神風連

明治9年10月24日(1876年)。 熊本の旧士族太田黒伴雄(42歳)、 加屋霽堅(かや・はるかた)ら神風連の約170名が、明治新政府の欧化政策に憤り、熊本鎮台司令官宅と熊本県令宅を襲撃、4名を殺害し、熊本城内の新政府軍熊本鎮台を占拠した。神風連の乱と呼ばれ…