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誰かの為に何かを残せればと思います。

昭和天皇のお人柄

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昭和帝のお人柄を紹介した本は多く、 歴代の侍従長や侍医が沢山の本を出しています。

・・・その中から幾つか逸話を紹介します。

 

1,閲兵の際に雨が降り出して

豪雨の中で昭和帝は最後まで直立の姿勢を崩さなかった。

側近は帝に雨に濡れない場所への移動を求めたが、応じず。

 

2,フランス語の辞書

愛用の辞書が余りにボロボロなので、 侍従がこれを買い換えようとしたが「もったいないから」と拒否。

 

3,学習院時代の名前

旧友同士が苗字で呼び合うのを見て、 自ら「竹山」と名乗り、旧友に呼び捨てにしてくれと要求。

 

4,ベトーについて

*ベトーとはvetoで、君主が大権をもって拒否または拒絶すること

昭和帝に叱責されて辞任、病死した田中義一の例を忘れず、 なるべく君主の拒否権を行使しないように気をつけていた。

これを行使したのは、226事件の時と終戦の時位だった。

 

5,フグについて

帝は毒に配慮してフグを食す事を禁止されていたが、 「フグを食べてみたい」と側近に言ってみるのが好きだった。

侍医などは、帝の「なぜ、ダメなのか」という下問に答えられず、 困ったりしていた。

しかし、これは帝の好きな冗談らしく、 帝自身、フグは食べられ無いと言う事は理解していたらしい。

 

6,相撲好き

大の相撲好きで有名だが、 贔屓(ひいき)の力士については質問されても決して明かさなかった。

贔屓の力士を言えば世間が騒ぎ色々な人に迷惑がかかると配慮した。

でも、実は蔵間のファンだったと推定されている。

 

7,陸軍の作戦に対して

戦前、陸軍が太平洋戦争についての説明をすると、これに反論。

参謀総長が返答に窮した。

あまり陸軍の作戦立案能力を信頼していなかった。

 

8,松岡洋祐が嫌い

三国同盟を推進した松岡洋右については非常に厳しかった。

「『ヒトラー』に買収でもされたのではないかと思はれる」

「一体松岡のやる事は不可解の事が多い」

「彼は他人の立てた計畫には常に反対する、又、条約などは破棄しても別段苦にしない、特別な性格を持ってゐる」とまで語った。

松岡外相が外交の舞台に出ると必ず日本は窮地に立つので、 彼を信頼していなかった。どころか、スパイではないかと疑っていた。

後に松岡洋右靖国に祀られると靖国参拝を取止める程の嫌いようだった。

 

9,反乱軍を鎮圧

2・26事件の際になかなか鎮圧に動こうとしない陸軍を叱咤。

自ら近衛師団を率いて鎮圧に向かうと発言して陸軍を慌てさせる。

ついに、この発言を聞いて陸軍は決起部隊を「叛乱軍」と認定する。

 

10,近衛師団を説得

玉音放送の録音盤を奪おうと終戦前夜に反乱した近衛師団に対し、 自ら兵の前に立って説得すると言い出し、側近に止められる。

 

11,終戦の責任を取る

終戦後、マッカーサーの元へ行き、責任は私にあると発言。

これを聞いたマッカーサーは本国に「天皇を戦犯から外せ」と要求。

この時のマッカーサーの電文は殆ど米政府への脅迫に近い。

 

12,暗殺者を改心させる

戦後、佐賀への巡幸中にシベリア抑留帰りの暗殺者が接近。

その時、帝は帰還者たちに「長く外国で苦労をかけた」とか、 「大変だったろう」と労いの言葉をかけて歩いている最中だった。

暗殺者はそれを見て号泣し、暗殺を断念してしまった。

 

13,実は皮肉屋

新宮殿を見に来た米国大使に「前のは貴方らに焼かれてね」と発言。

自民党内でグダグダの争いを展開しつつあった大平首相の参内では、 報告をする大平に一言も返さないでじっと見据え続けるということも。

記者の「いつも皇居からどこを眺めているか?」の質問に対して、 「国会議事堂だよ」と笑って答えた。

迷走する政治に対する皮肉。

 

14,A級戦犯に対して

晩年、行幸先の愛知県で早朝、殉国七士墓碑の前に向かい、 長時間直立でその碑を眺めていた。

この頃、靖国参拝は中止されていた。

これまで“A級戦犯”といえば東条英機元首相の代名詞であるかのように報じられてきた。

その東条元首相に対する帝の思いは、あたたかいものであった。

帝は語っている。

「元来、東条と云ふ人物は、話せばよく判る」

「一生懸命仕事をやるし、平素云ってゐることも思慮周密で中ゝ良い処があった」と。

東条の評判が芳しくないことについても

「圧政家の様に評判が立ったのは、本人が余りに多くの職をかけ持ち、忙しすぎる為に、本人の気持が下に伝らなかったことと又憲兵を余りに使ひ過ぎた」所為だとして、言葉を尽くしてかばっていた。

東条元首相の孫の由布子さんは、帝が靖国神社を参拝されなくなったあとも、宮中のお使いを東条家に派遣し「御心配の御伝言」をされていたと語る。

 

15,生物学が専攻だが本当は歴史学が好き

学生時代、歴史を専攻しようとしたが、政治に関与しすぎるとして断念。

政治とは無関係な生物学のしかも専攻にしている者が居ない分野を選択。

自分の出した研究が要らぬ配慮をされないようにと考えた末の結論だった。

 

16,異様なカリスマ性

米大統領・フォードは帝の謁見を受け、体の震えが止まらなかったと回想。

中国の指導者・鄧小平は帝の前で体が震えっぱなしだったと侍従が証言。