【隼】🇯🇵JAPAN🇯🇵 hatenablog

誰かの為に何かを残せればと思います。

2020-01-01から1年間の記事一覧

北方領土は日本固有の領土です

1.北方領土とは何か? 1945年(昭和20年)、日本が、ポツダム宣言を受諾し降伏する意図を明らかにしたあとになって、ソ連は、一度も外国の領土になったことのない我が国の固有の領土である北方四島に侵攻しました。その後、ソ連は一方的にソ連領に「…

竹島は日本固有の領土10のポイント

POINT1 「日本は古くから竹島の存在を 認識していました」 ✴️日本が古くから竹島を認識していたことは 各種の地図や文献から確認できる 現在の竹島は、我が国ではかつて「松島」と呼ばれ、逆に鬱陵島が「竹島」や「磯竹島」と呼ばれていました【図 1】。 竹…

尖閣諸島は日本固有の領土です。

尖閣諸島は歴史的にも国際法上も明らかに日本固有の領土であり、かつ、実効支配していることから、解決すべき領有権の問題はそもそも存在しません。 日本が尖閣諸島に対して領有権を有することは間違いありません。 日本は中国に対して主張と反論を繰り返す…

尖閣諸島、竹島、北方領土は日本固有の領土です

✴️「尖閣諸島は日本の固有の領土です」✴️ 日本は、尖閣諸島が無人島であるのみならず、他国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重に確認した上で、1895(明治28)年1月に閣議決定を行って沖縄県に編入しました。これは、国際法上、正当に領有権を取得する…

台湾先住民からなる最強の「高砂義勇隊」

⚪️統治時代に台湾を近代化させた日本 日清戦争に勝利した日本は1895年、下関講和条約によって、清国より台湾の割譲を受けます。これによって台湾は日本の統治下に入りました。 歴史をひもとくと、台湾には古代から先住民が暮らしていましたが、1624年のオラ…

「日本は侵略国家であったのか」 田母神 俊雄

「日本は侵略国家であったのか」田母神 俊雄 アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略した…

我は海の子

われは海の子 白浪の…。 「われは海の子」は、明治43(1910)年の尋常小学読本唱歌に掲載されて世に出ました。 作者不詳とされてきた名曲の作詞者が明らかになったのは、約80年後の平成元年です。 決め手となったのは、北欧文学者、宮原晃一郎の一人…

昭和天皇、最後の「終戦記念日」

昭和63年8月15日。昭和天皇が最後にお迎えになった終戦記念日。当時、昭和天皇のお身体は深く癌に侵されていた。(但しご本人に告知はしていなかった)。この年の8月は那須の御用邸で静養をされていた。しかし、ご無理をされてヘリコプターで8月13日にご帰京…

元侍医が語る「昭和天皇 最期の日々」

1987(昭和62)年4月29日。誕生日の昼餐会中に嘔吐した昭和天皇。満86歳を迎えた天皇の体で起こっている異変に気付いていたのが、侍医の伊東貞三さん(87)だった。徳川家定の御典医を務めた伊東玄朴、明治天皇の侍医を務めた伊東方成を祖先にもち、昨年『昭…

『伊勢神宮』新国家の為の神道利用

一生に一度はお伊勢参り、江戸時代の庶民最大の楽しみが、伊勢神宮の参拝だった。天皇家の祖先とされる天照大御神と、豊穣(ほうじょう)をつかさどる豊受(とようけ)大御神を祭り、民の暮らしと縁が深い。 もちろん信心だけではなく、御師(おんし)と呼ば…

『昭和天皇』A級戦犯メモ 富田メモの危うい『政治利用』

『週刊新潮』 '06年8月3日号 「A級が合祀されその上松岡、白取までもが、」「だから私あれ以来参拝していない。それが私の心だ」。元宮内庁長官の富田朝彦氏が、昭和天皇のお言葉として書きつけたメモが波紋を広げている。 スクープを物にした「日経」は7月2…

高村光太郎「記憶せよ、十二月八日」

大東亜戦争の意義は、昭和天皇が「開戦の大詔」に明確にお示しになっている。 「東亜の安定」と「自存自衛」の為に蹶然起って一切の障礙を破砕するための戦いであったのである。 決してアジア諸国を侵略しようという戦いではなかった。東亜諸地域を侵略し支…

吉田松陰「士規七則」現代語訳

「士規七則(しきしちそく)」とは、吉田松陰が従弟の玉木彦介の元服を祝い贈ったものです。 武士の心得七ケ条といったところですが、武士のあり方、人としての生き方について松陰の思想を読みとることができます。 (士規七則・現代語訳) 一、人間として生…

なぜ北朝鮮は拉致被害者を返さないのか

荒木和博先生は、拓殖大学海外事情研究所教授・特定失踪者問題調査会代表・予備役ブルーリボンの会代表・戦略情報研究所代表・民社人権会議幹事・国家基本問題研究所副評議員長です。 荒木先生はYouTubeやブログも投稿されていますのでご案内致します。 YouT…

日本人の精神性と使命感

戦前の日本は現在の都市部の生活からは想像出来ないほど、共同体意識が強かった。 引越しなどの移動が現在ほど多くなかった戦前の日本は、代々その土地に住み、血縁地縁で深く結びついた社会だった。 誰もが郷土に対する強い意識をもち、国際的にもトップク…

杉本中佐と遺言本『大義』

杉本中佐は昭和12(1937)年9月に支那事変の戦闘で戦死している。弁慶ではないが、立ったまま往生を遂げている。敵の手榴弾を浴びて倒れた杉本中佐は、軍刀を杖にして、立ち上がり、号令をかけ、倒れることもなく遙か皇居の方向に正対、挙手敬礼をして絶命…

永野修身 元帥

永野修身元帥 永野修身は土佐の人です。一番尊敬していた人が、同郷の坂本龍馬だったそうです。 明治13(1890)年のお生まれで、高知海南中学(現・高知県立高知小津高等学校)を卒業後、海軍兵学校に入学しています。兵学校では、入学時、卒業時とも成績は…

不死身の分隊長「船坂弘」

玉砕島から生還した最強の日本兵 200人もの敵兵を倒し瀕死の重症から生還した不死身の分隊長と呼ばれた伝説の日本兵で、もはや人間離れした先人の船坂 弘を紹介します。 「不死身の分隊長」と称えられ、敵軍であるアメリカ兵からも絶賛された舩坂弘は19…

戦艦「長門」

戦艦長門(ながと)は長門国を名前の由来に持つ日本海軍の戦艦で長門型戦艦の1番艦である。 大東亜戦前は日本海軍の象徴として親しまれた。敗戦後はアメリカ軍に接収され、原爆実験の標的艦となり沈没した。 大東亜戦争後、長門はアメリカ軍の核実験「クロス…

「我が身を犠牲にしても、人のために尽くせ」会津藩 白虎隊

慶応四年(1868年)、旧幕府軍(佐幕派=会津藩、新選組、他)と、官軍(勤皇派=長州藩、薩摩藩、他)の戦いの火蓋が切って落とされた。“戊辰戦争”の始まったのである。鳥羽・伏見での戦いは、旧幕府軍の敗戦で終わった。この勝利を見逃さまいと官軍は兵を…

藤田東湖の正気(せいき)の歌

藤田東湖の作で「正気(せいき)の歌」という漢詩があります。「正気の歌」は、もとは南宋の文天祥という忠臣がうたったもので、忠臣の鏡とされた人物であり、日本でも維新の志士がその歌を愛誦したといいます。藤田東湖は、これに寄せて、自作の「正気の歌…

特定失踪者問題調査会へのカンパをお願い致します。

横田滋さんが亡くなった。 この悲しみ、苦しみを何処へぶつけてよいか良く分からない。 ただ一つ言えるのは、僕たち日本全国民の力で北朝鮮による「拉致被害者を奪還する」という気概が足りなかったという事ではないでしょうか。 横田滋さんはじめ拉致被害者…