【隼】🇯🇵JAPAN🇯🇵 hatenablog

誰かの為に何かを残せればと思います。

英霊の言乃葉 (妻へ)

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「獄中より最後の願ひ」
陸軍憲兵准尉 藤井 力 命

昭和二十一年四月二十二日 上海にて法務死 

徳島島麻植郡鴨島町出身 四十一歳

一、私は敏子を離別します。
一、敏子に再婚させて下さい。
一、私に成仏させて下さい。

私は敏子が現在の不幸に打勝つて再婚し、母となり幸福になつた時成仏出来ます。
その他に成仏はありません。
追善供養は不要です。

お父様、お母様、敏子をいたはつてやつて下さい。
彼女が涙もかれてしまひ、精も根もつきる程の不幸に落したのは私です。

亦悪い星の下に生れた私であり敏子でありました。
うかいたはつて下さいませ。

最後の願はこれ丈です。
彼女が戦火の中に身を挺して来てくれたのも
斯うなる私に天が与へた最後の御慈悲であつたことでせう。

私は人生の喜びも、彼女によつて与へられました。

収容せられても此の淋しい獄舎にて、暖い便りや衣類を送つて呉れ、
その愛情につゝまれて居ります。

私の心は幸福でした。

前後の事情は彼女がお父様、お母様に報告して呉れませう。

皆様にも、もう会へませんが、左様なら 左様なら。

お父様お母様御長生下さい。御機嫌よく。

三月二日    力
お父様

お母様

【昭和四十七年三月靖国神社社頭掲示】

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「妻宛書簡」
陸軍衛生伍長伊藤 甲子美命

二十六歳マリアナ島にて戦死

 

季代子

かう呼びかけるのも最後になりました。

短かつたけど優しい妻でした。
有り難く御礼申し上げます。
まこと奇しき縁でしたけど、初めて幸福が訪れた様な気がして嬉しく思つていました。
折角永遠の誓ひを致しながら最後になりますのは、何かしら心残りですけど、
陛下の御盾として果てる事は、私にとりましても光栄と存じます。

短い生活で、もう未亡人と呼ばれる身を偲ぶとき、申し訳なく死に切れない苦しみが致しますが、すでに覚悟しての事、運命として諦めて頂きたいと思ひます。
若い身空で未亡人として果てる事は、決して幸福ではありませんから佳き同伴者を求めて下さい。
私は唯、幸福な生活をして頂きますれば、どんな方法を選ばれませうとも決して悲しみません。
さやうなら季代子、何一つの取り柄のない夫を持つて、さぞ肩身の狭き思ひで有りませう。
至らない身、お詫びを致します。
何日の日か幸福な妻にさして上げたく思ひ乍ら、その機会もなく心残りでなりません。
どうぞ御健やかに御暮らし下さいます様、お祈り致しています。
さやうなら。

【昭和四十七年三月靖国神社社頭掲示】

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海軍少佐 篠崎眞一命

横須賀海軍航空隊
昭和十九年六月二十九日内南洋方面にて戦死
東京都出身 二十四歳

「玲子」
玲子は日本一、否世界一の妻なりと思ってゐる。
苦勞のみかけ、厄介ばかりかけ、何等盡し得なかった事済まなく思ってゐる。
四月十五日以来僅な月日であったが、私の一生の半分に價する月日であった。
父母に孝養を盡してくれ、私の分迄。
私に逢ひ度くば空を見よ、飛行機を見よ、軍艦旗を見よ。私は其処に生きてゐる。

結婚のすべての手續き、六月十二日に横空で完了して置いた。
くれぐれも後を賴むよ。
私の出来なかった事も玲子には出来る。
後顧の憂、一つなく征ける身の幸福を感謝してゐる。
最愛の玲子、御身を常に見守ってゐるよ。

(靖国神社・平成十八年三月社頭掲示)

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「帰つてからの土産話」

海軍少尉 石黒謙次郎 命
駆逐艦早波 昭和十九年六月七日
フィリピン南方海上にて戦死
山形県飽海郡南平田村出身 三十六歳

又新たなる年が来ましたね。
皆達者で何よ里(り)である。
まだまだこんな位の働きでは海底に鎮座ましましたくないね。
実戦は素晴らしいよ。
映画では見られない敵機が三十機位来る。
ばらばらと爆弾を落とし、あつと思つたがあたらなかつた。
帰つてからの土産話にするから余り書くまい。

先日某島で後藤君と会つてね。
椰子の陰で休んで居たら来たよ。
暫く振りで土を踏んだのでいい気持であつた。
後藤君は用意周到なもんで水筒にお酒がいつぱい入つて居つたよ。
まあ一ぱいとね。
お互に此の世に居らないものと思つて居つた。
私も後藤の奴、生きて居つたので意外であつた。
水筒の水も尽きた頃は矢でも鉄砲でも持つて来いである。
敵艦の逃る処を夢見て居つた。

桂子もお餅を沢山食つて大きくなつてね。

昭和十九年一月
【昭和五十八年一月靖國神社社頭掲示】

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「嫁ではなく、我子と思つて」

海軍工作兵曹長 小笠原嘉明 命
戦艦「大和」乗艦 昭和二十年四月七日
九州坊ノ岬南方沖合にて戦士
愛知県出身 二十九歳

我、軍人としての本分を立派に果し、神風大和艦上に最期を飾るは、我、無上の譽れと深く心に銘記し笑つて死すものなり。

御両親様、妻愛子は良嫁になかりしが、我の妻で御座居ます。
夫婦の契を立て、二世を誓ひし以上は、我と一心同体なりし事は申す迄もないと存じまする。
ましてや我は國難に殉じる軍人です。
其の家族が軍人の家族らしからぬ事、此の世に多しと承り、此に一言遺書を記すものなり。

(中略)

一、里方へ歸るも可なれど、里方にては御迷惑せられますれば、我家にゐては居辛く本人としては我家を出て静かに自活したき希望なれば、本人の希望通りに自力自活の道に進む様御願ひ申し上げます。
其の上にて再婚の道有ればお進め下さい。
再婚致す迄は愛子の籍は我が妻として置て戴きたくお願ひ申し上げます。

一、人間は感情の動物なれば、憎きやつと思へばだんだんと遠ざかり、可愛がれば愛子とても孝養せなくてほならなくなると我は存じますれば、嫁とは思はず、我子と思はれまして可愛がつて下さいます様御願ひ申し上げます。

(後略)

【平成十九年三月 靖國神社社頭掲示】