【隼】🇯🇵JAPAN🇯🇵 hatenablog

誰かの為に何かを残せればと思います。

東條秀樹

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東條英機といえば、日本を戦争に駆り立てた挙句、全土を焦土としてしまった人と見なされることが多いようである。流布する肖像写真までもが、軍国主義を象徴するかのような出で立ちであったことも、不評を買った一因であった。

 しかし、この東條英機への悪評に対して意を唱える声も、実は少なくない。その一人が、『東條英機 封印された真実』を著したノンフィクション作家の佐藤早苗氏である。同書によれば、彼はこの戦争が、東京裁判の検察側が主張するような「侵略戦争」ではなく、あくまでも自衛のための戦いであったと、最後まで信じていたというのだ。

 元凶は、むしろ資源封鎖による経済戦略にあり、持たざる国、つまり日本が窮地に追い込まれたため、資源獲得のために戦いに臨まざるを得なかったとも。

 東京裁判にしても、敗戦国の人間だけが罪に問われることにも納得がいかず、「法と正義に反する」ものと考えていたようだ。それでも裁判では保身のための擁護を一切せず、ひたすら国体の維持に努め、天皇に責任が及ばぬように配慮することに終始している。

 開戦を避けることができなかった責任は痛感しているが、それも自らが進んで戦いに望んだわけではなかった。それにもかかわらず、国民からこぞって目の敵とされたことには、忸怩たるものがあったのだろう。

その人となりに関しても、意外や、配慮の行き届いた人情家であったという。天皇が彼に信頼を寄せたのも、「駆け引きをしない真正直で裏表のない忠義の人」だったからともいわれる。国民が食べるものに困っていないかを探るため、行く先々でゴミ袋を開けて見たというのも、よく知られる逸話である。

 また、長男が生まれたばかりの頃は、夫婦揃って育児日記をつけるような人で、ドイツに駐在武官として単身赴任で3年間も赴いていた際には、妻にあてて144通も手紙を送るほど家族思いの人であったという。

 それでも結局、無念を心に秘めたまま、刑場の露と消えた。生前、家族に対して、どんなに批判されても「言い訳をしてはならぬ」と言い含めていたとか。100年後の歴史家が必ずや真相を語ってくれるものとの思いが、そう言わしめたというのだ。